ノンフィクションのドキュメンタリーですが、究極の状態を描いたものですので、下手な小説よりも引き込まれます。
餓死者が次から次へと出る状態でも存在し得た音楽の力を、読み手は感じずには居られない渾身の一冊かと。
戦火のシンフォニー レニングラード封鎖345日目の真実 ひのまどか
帯より
「地獄絵図の中で、それでも演奏をやめなかったオーケストラの魂と感動の記録!」
「砲弾の雨、強奪、凍死、餓死、人肉食…」
「1942年8月9日、ナチスドイツ包囲下のレニングラード」
「一九四二年八月九日、ナチスドイツに完全包囲された、封鎖345日目の古都レニングラード。すべてのライフラインを断たれたこの瀕死の町で、ショスタコーヴィチの超大作、交響曲第七番『レニングラード』を現地初演しようとする八〇人の音楽家たちがいた!なぜ?何のために?極限状況下、芸術は何の役に立つのか?平和と音楽を愛するすべての人に贈る、驚愕のヒューマン・ドキュメント。」
Дмитрий Дмитриевич Шостакович(ドミートリイ・ドミートリエヴィチ・ショスタコーヴィチ、Dmitrii Dmitrievich Shostakovich)氏の交響曲第7番ハ長調作品60、通称「レニングラード」が第二次世界大戦の最中に書かれたものである事は知られていますが、それが、あの包囲の中、戦火の中でレニングラード(現、サンクトペテルブルク)の地で演奏された事は存じませんでした。
独逸軍の露西亜戦線への進行から包囲戦、その中で不屈の精神で音楽の力を信じ、音楽を守ったラジオ局とその方々、演奏家の有様、そして交響曲第7番が演奏され、終戦までをソ連の音楽家再度の目線で描いたノンフィクションです。
1940年12月、ヒトラーは対ソ侵攻作戦バルバロッサ作戦の作戦準備を正式に指令し、1941年6月22日、国境で一斉にドイツ軍の侵攻が開始されました。
直ぐに独逸軍北方軍集団はレニングラードを包囲。
1941年7月半ば、文化省と国家保安委員会の疎開命令でレニングラード・フィラルモニー(現、サンクトペテルブルク・フィルハーモニー交響楽団、当時指揮者はエフゲニー・ムラヴィンスキー氏)は疎開、レニングラード・ラジオ・シンフォニー(現、サンクトペテルブルク交響楽団、当時指揮者はカール・エリアスベルク氏)はレニングラードに残り市街防衛戦で戦います。
包囲戦により相次ぐ病人、餓死者、戦死者、、、降り注ぐ砲弾、空襲、、、そんな中で、プロパガンダの手段としても音楽は演奏され、人々の心を支え続けます。
餓死寸前の健康状態で、日々の練習も演奏も出来ない武器や工具を握った指で、演奏家達が如何に交響曲第7番ハ長調の様な大曲の演奏に至ったかが熱い筆で語られています。
作者のひのまどかさんは1942年2月10日生まれの女性ですので、熱心に露西亜側の資料を紐解いた事も影響し、ややソビエト社会主義共和国連邦寄りの史観で綴られていますが、音楽家目線の歴史書ですし、戦時下の音楽の有り様を語った書籍としては非常に素晴らしい本だと思います。
「大砲が鳴る時、ミューズは黙る。しかし、ミューズは黙らなかった!」
その言葉が本書を貫く太い柱だと思います。
明らかに標的にされるホールを満席にした聴衆、最悪の栄養状態にも拘わらず80分に至る大曲を最後まで演奏したオーケストラ、、、その事だけでも感動を禁じ得ません。
「幻の名演」と言い伝えられるのもむべなるかなです。
(電力事情が最悪だったため、ラジオ放送するのがギリギリ可能で録音は全く不可能だったようです)
戦時下の独逸での演奏も残っていますし(フルトヴェングラー氏の名演は今もCDで聴く事が可能です)、本邦でも1945年3月の時点ですら日比谷公会堂で日本交響楽団の第264回定期演奏会は行われています(それも、演目「火の鳥」!!!)。
芸術、文化が無ければ人という生物は生きていけないのだと思います。
クラシック好きの方には読んで頂きたい一冊です。